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ヤルノと初めて会ったのは1991年の11月、成田空港でのことだった。 彼と同郷の先輩であり、父親の同僚の甥でもあるメカニックのルーチョ・カブートと二人での来日。 そのころは英語が何とか通じるも、しかしまだまだ勉強中という様子だった。 そして宿泊先である青山プレジデントホテルへ案内。ここは来日するレーシングドライバーの常宿だ。 ランチを食べにサバティーニへ。ここもイタリアンドライバー達の溜まり場である。 さらに夜はハードロックカフェに行けば東京にいる外国人ドライバー達全員と会う事が出来る。 しかし、その時のトゥルーリはまだ未成年だったし、運転免許証すら持っていなかった。 残念ながら夜の部はパス。 それにしても二人ともレース屋にしては以外と真面目そうだった。 少し気が合いそうだ、これからも上手くやっていけるかもしれない。そう思った。
その時彼らが日本にやって来た理由は、次シーズンからF-3にステップアップするにあたってのスポンサー獲得と、TOM'Sへの表敬訪問であった。 ゴーカートとはいえワールドチャンピョンになったのにもかかわらず、来季のために本人自らオフシーズンに動き回らねばならないとは、やはりレースの世界は厳しい。
F-1に比べてパワーも小さく、吸気制限されているためドライバーの腕の差が出やすいF-3ではあるが、やはりトップチームと呼ばれるところはすべての体制が整っている。 代表的なチームは英国F-3のディック・ベネッツ率いるウェスト・サリー・レーシング(WSR)だ。 アイルトン・セナ、エディ・アーバイン、ミカ・ハッキネン、ルーベンス・バリチェロ・・・、そうそうたる卒業生。 イタリアではスーパーカーズというチームが優秀ではあるが、ルカ・バドエルもすんなりF-1に上がってきた訳ではない。 最近ではF-1チームがジュニアチームを作り、F-3で子飼いのドライバーを育てる様になってきたのでWSRのようなF-3専門という名門チームが苦戦しつつある。
トゥルーリはゴーカートの先輩であり、92年からティレルかモデナ、どちらかのシートに座る事になっていたフランコ・スカピーニが共同オーナーをつとめるF-3チームと契約していた。 スカピーニ自身もゴーカート、F-3と速かったのだが、F-3での1年目に事故にあって脊椎を損傷し、チャンピョン目前でそのシーズンを棒に振ってしまった。 とにかく、F-1の舞台に辿り着くためには、立ち止まる事は決して許されない。 少しでも立ち止まれば、果てしなく遠い回り道をしなければならなくなるのだ。 そのためには人脈と、幸運と、そしてプラス”$”が欠かせない。 あのセナでさえ、バンコナシォナル(祖父が関係していたと言われている)の後ろ盾無しには難しかったと言われているし、 ミハエル・シューマッハもメルセデスで頭角を現すきっかけを作ったのは彼の母親のお蔭だと、ヨーロッパのレース関係者のあいだではあまり有り難くないゴシップが飛び交った。 プロストもエルフの助力が相当にあった筈で、とにかく、自力だけでF-1に這い上がるなどという事は、夢のまた夢なのだ。
text by Masa Kitawaki
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