Jarno Trulli

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ヤーノ・トゥルーリ「栄光への序章」
 
Epi.2 「狂い始めた歯車」 〜こぼれ落ちた夢

当時のイタリアF-3ではダッラーラVW、ダッラーラアルファが強く、VW、アルファともファクトリーチームが存在していたため、それ以外のチームは天才ドライバーを連れてくるか、突拍子も無い事をしなければ勝てなかった。
そして、その両方をしようとしたのがスカピーニだった。
トゥルーリは田舎で育ち、ゴーカート漬けではあったがあまり上のカテゴリーに知り合いは少なく、もし声が掛かったとしてもそれを判断できるブレーンが回りに居なかった為、ゴーカートを通しての関係しか頼る事ができなかった。
スカピーニは、当時日本でぶっちぎりの速さを見せていたTOM'Sトヨタを、イタリアで走らせようとした。
ラルト無限も安定はしていたが、トヨタの速さには敵わなかった。
無敵のTOM'Sに、カートチャンピョンの天才を乗せれば、戦う前から勝ったも同然だった。
しかし、レースの女神はそう簡単にトゥルーリとスカピーニに微笑まなかった。
彼らの人生の歯車が狂うのは、簡単なきっかけだった。

スカピーニのF-3チームのスポンサーは、彼のF-1でのスポンサーでもあり、トラサルディ、ベルヘルメット、重化学工業、イタリア商工会議所の会頭でもあった。
日本のある企業と、モデナ・ランボルギ−ニのオーナーでもあるチプリアーニ氏は共同でティレルを買収、そして新チーム「FINNフォーミュラ」を結成し、そのドライバーとしてフランコ・スカピーニは来る‘92シーズンを戦う事になっていた。
その頃、トゥルーリは免許を取ったその日にムジェッロでレンタルのF-3で、コースレコードの0.5秒落ちを記録した。
日本に来た時にはゲームセンターでスカピーニ、日本のF-3で活躍していたユージニオ・ヴィスコ(ジャック・ヴィルヌ−ヴの親友)、そしてルーチョと何時間も対戦レースでバトルをしていた。
そしてその時でも、ほとんどスカピーニと同じ位速かった。

スポンサーはF-3のシャーシーはダッラーラにするべきだと主張した。
確かにその頃から空力が良くなり速くなっていたが、それに載せるエンジンの契約は無かった。
しかしスカピーニは既にTOM'Sと契約を交わしていた。
それはただのダッラーラユーザーよりも、TOM'S準ワークスの方が長い目で見れば有利だと考えていたからだった。
着々と、野心はカタチとなっていきつつあった。

そんな矢先、大手広告代理店を通じてF-1の共同買収を契約していた日本企業から、”本業の業績悪化”のためストップが掛かった。
それは‘92シーズンもそれ以降も、FINNフォーミュラがスカピーニと共にF-1の歴史から抹殺される事となり、F-1チームコーディネーターとなるはずだった私や、F-3にステップアップする筈だったトゥルーリの人生をも狂わせる事になった。
可哀そうなトゥルーリは契約に縛られ、92年は他のF-3チームで走る事が出来なかった。

text by Masa Kitawaki

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