Jarno Trulli

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ヤーノ・トゥルーリ「栄光への序章」
 
Epi.4 「頂点へ・・!」 〜二人三脚の冒険

そしてチャンスは、努力しつづける天才に再び微笑んだ。
1996年からドイツF-3に挑戦するチャンスを与えられたのだ。
実はこの頃、全日本F-3でもTOM'Sがトゥルーリ獲得に動いていた。
ステップアップのときは半信半疑だった彼らも、カートでの連戦連勝を本当の実力だとようやく見抜いたのだった。
しかし、同時にトゥルーリはザウバーでのF-1テストを掛け持つ、というチャンスも与えられていたため、
ザウバーの本拠地スイスに近いドイツから離れたくなかった。
この頃にはとても人間的に大人になっていて、やんわりと、そして目を掛けてくれた事を感謝して丁寧にTOM'Sに断りを入れている。
この時も私に相談してくれていたので、トヨタF-1の可能性などを知り合いのレース関係者に聞いて報告したりした。
日本で走ってくれれば私は嬉しかったし、またTOM'Sに恩返しできれば(スカピーニがやむを得ず契約破棄した時、TOM'Sは一切咎めなかった)
とも考えたが、トゥルーリのためにはF-1のテストを優先させるべきだと思った。
しかしスポンサーの後ろ盾無しにはF-1には行けないものだと思っていたし、日本の経済状況も悪化していたので、それを彼のために
見つけてやるのは至難の技だと正直思っていた。
そしてその後はご存知のように、ベネトンのジュニアチームに見出されてF-3で活躍し、ミナルディからF-1デビューする。
ジャンカルロ・ミナルディとはスカピーニも親しく、スポンサー絡みではあったがベネトンジュニアチーム以前にも
ミナルディ行きの話はあった。
しかし、トゥルーリはその時にはもう焦らなかった。
確実なステップをスポンサーに頼らず、自分の力で、そしてルーチョと共に登って行こうと。

1997年からのF-1参戦が決定した時、ルーチョは見知らぬ世界ゆえに自ら身を引こうと考えた。
それがトゥルーリのためだと考えたのだった。
しかしトゥルーリは直ぐにそのアイデアを否定した。
「どこまでも一緒に登って行こう。」

そしてここに、一人の偉大な、「素人F-1パイロットマネージャー」 が誕生した。
海千山千のバケモノ揃いのF-1世界で、たった二人の素人たちが自分たちの力だけを信じて、パーソナルスポンサーも全く無いままいったいどこまでやっていけるのか!?
そんな、「冒険」 が始まった。

今までのところ、とても上手くやっているようだ。
自分だけのことを考えず、常にここまで来るために助けてもらった人達への感謝を忘れず、奢らず、実に普通の人間としての正しさを貫いている。
サントレードの浅井社長を始め、ブリジストン、アルカート、トニーカート、フラビオ・ブリアト−レ、ベネトン、ミナルディ、プロスト、ジョーダン。
信義を重んじるあまり、とても有効なチームにいるとは思えない時もある。

しかし彼らは、知っているのだ。
与えられた環境で努力していれば、きっとチャンスだけは与えられる。
それを物に出来るかどうかが、問われているのだと。

普段、我々は様々な事を環境の所為にしている。
それがあまり正しくない事を、私は彼らの行動にみつける。
だからもっと、もっと応援したくなるのだ。
きっと、自分の叶わぬ夢を実現してくれる分身を見るようなつもりで。

彼らの最初のF-3昇格失敗は、決して間違っていなかった。
絶頂期に迎えた挫折は、確実に彼らの根幹に、強固な意志を築いたのに違いない。

頑張れ!ヤルノ!負けるな!ルーチョ!

text by Masa Kitawaki

P.S.
いつでも僕の心には、寄り添う様に重い荷物を二人で分け合って、F-3に昇格する希望に胸を膨らませながら、笑顔でいつまでも手を振りエコノミーに乗りこんでいった、1991年冬の君達の後姿が忘れられません。
そして僕も、あの頃と全く同じ気持ちで、今も応援し続けています。
嬉しいことに僕にも、そして君達を応援してくれる仲間が増え続けています。

Masa

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